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努力?犠牲?

よく成功には犠牲が必要
成功には努力が必要
っていいます。

でも、これはちょっと違う気がします。
もちろん何かを成し遂げるということは
周りから見れば、すごい努力をして
多くの犠牲の上に立っているようなきがします。

でもこれは言葉の取り方で
犠牲にしてきたという意識が
そのとき本当にあったかどうか

過去を振り返った時
おいてきてしまったものを
確認し、
「あれは大きな犠牲だった・・・」
となるんじゃないでしょうか?

努力という言葉、良い意味でとればいいですが
根性で努力を続けるという意味では
成功者がこの言葉を使うと
いささか、自分の功績をたたえるための
美辞麗句に聞こえてしまうのは
僕だけでしょうか?

夢や目標を達成した人は
皆、俺は努力している
多くの犠牲を払っているって思っているのでしょうか?

無我夢中で走ってきただけなのでは
ないのでしょうか。

無我夢中だからこそ
気がつけば落としてきたものがあるわけで

無我夢中だからこそ
全速力で走り続けて来た実感が
あるからこそ
おれはがんばった、努力したといえるのでは
ないでしょうか?

だから、始める前に
努力しなくちゃ成功は得られない
犠牲を払わなければ夢はかなわない
って考える必要はなく

大事なのはとにかく無我夢中になれることを
探すことなんじゃないかと思います。

夢をかなえるには犠牲や努力は
必要ない。夢中になれることが
一番大切なのではないでしょうか?

夢中になることは
当然みえないもの、失うものも
出てくるわけです。

あらためて、
「僕は努力しました」とか
「おれは犠牲を払ったからうまくいったんだ」
というのは何か表現方法が違う気がします。

独り言でした。