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怒り


 とあるサイトで、
「怒り」はコミュニケーションに必要といった内容のコラムを
見かけて、読んでみたのですが
全く、理解できず思わず、こちらに。

僕は「怒り」はコミュニケーションにおいて全く
必要ないと思います。
上司が部下をしかるのはいいですが
部下に対して怒りをぶつけることは絶対にやってはいけない。

親が子供を叱るのはいいですが
怒りをぶつけては、子どもの気持ちは離れるばかりです。

親も上司も怒りが増幅し抑えられなくなります。

だから怒りは全く必要ありません。
コントロールして排除すべきです。

怒りが目的達成の原動力になるかもしれませんが
怒りが原動力になるような目標、目的は
争いを生み、誰かを蹴落とし、
自分だけが気持ちの良いゾーンに行きたいという
非常に利己的な考え方から成り立っているような
気がします。

怒りとは多くの場合
内なるものというより、他人にぶつけられるものです。
内なる怒りを肯定するのはわかりますが
内なる感情を怒りと呼ぶこと自体に疑問はあるので
ここでは触れません。

他人に対する怒りは一部を除いて
他人をコントロールしようとするという気持ちから
発生すると思います。

約束を破られる
嘘をつかれる
言うことを聞かない(ストレートですが)
ミスを連発する
直接攻撃される
酷いことを言われる

最後の二つの直接攻撃と
酷いことを言われるということに対しては
怒りを感じることを否定はしません。

相手もおそらく怒っているか
こちらに危害を加えようとする悪意があるからです。

でもそれ以外に関しては
相手はこちらに危害を加えようとは
思っていません。
根本的な価値観が違うか
単に、自分が信頼されていない認められていない
だけです。

約束を守るという価値観が
だれにでもあり、それが当然と思っていること自体が
間違っています。

約束を守るということはとても正しいことですが
それを正しいと思っている人が全てではないということです。

その約束を守らなくてもいいと思っている人に
守るべきという価値観の人が、
怒りの感情で相手にぶつかっても
何も変わらないということです。

怒りの感情で人を動かすのは不可能です。
怒りをぶつけてくる人間の言うことは、まず聞きいれられないでしょう。

そもそも、怒りをぶつけてくる人には
優しさという感情は絶対に感じられません。
感じられないから怒ってきた人に腹が立ちます。むちゃくちゃです。

人が動くのは相手に優しさという感情を感じ感謝の気持ちを感じ
謙虚になるから変わるのです。

ここに怒りは全く不要です。

戦争において怒りは必要かもしれません。
生死をかけた戦いに怒りは必要かもしません。

しかし、コミュニケーションに置いて
怒りは絶対に必要ないと思います。

叱るのと怒るのは違います。
叱るのは優しさです。
というより、優しさを相手が感じれば
怒られているのではなく、叱られていると
感じるはずです。

相手が、言うことを聞かない
変わらないのは

ただ怒りをぶつけているだけです。
どんどん信頼を失い、いずれ相手にされなくなるでしょう。
怒れば相手が変わると思っている人がいたら
それは単に相手に甘えているだけです。絶対に相手は変わりません。
その逆です。

怒りとは相手を自分の思い通りに動かそうとする
エゴでしかありません。
相手のことを思うのであればそれは相手に伝わるはずです。
怒られているという感覚は無く、叱られているとなるはずです。
怒っている人は往々にして
相手のためにやっているといいますが
それは違います。大きな勘違いです。

怒っていては何も伝わりません。最終的には
自分自身が否定されるだけです。

怒りはコミュニケーションに必要ありません。